働いて心を病んだとき、治療費は誰が払うのか——精神障害の労災認定

社会制度

心療内科や精神科で「適応障害」「うつ病」と診断されて、休職の診断書を書いてもらう。会社に提出し、健康保険証を出して窓口で3割を払い、傷病手当金の申請書を人事からもらう。——ここまでが、多くの人がたどる標準的なルートです。

このルートは間違っていません。ただ、もし発病の原因が仕事の側にあったなら、入口がもう一つあります。労災保険です。そしてその入口は、たいてい誰も教えてくれません。会社の人事も、主治医も、必ずしも案内してくれるとは限らない。労災というと「工場で機械に挟まれた」「現場で転落した」といった怪我のイメージが強く、心の病気が対象になることが知られていないからです。

以下は制度の一般的な説明です。ここに書く数値と基準はすべて2026年10月時点のもので、個別のケースが認定されるかどうかを判断できるのは労働基準監督署だけです。

労災保険はそもそも何の制度か

労災保険(労働者災害補償保険)は、仕事が原因の病気や怪我、通勤中の災害に対して保険給付を行う制度です。厚生労働省の説明によれば、原則として労働者を一人でも使用する事業は業種や規模を問わずすべて適用対象で、「労働者」に該当すればアルバイトやパートタイマーといった雇用形態は関係ありません。

そして重要な点として、その費用は原則として事業主が負担する保険料でまかなわれています。健康保険や厚生年金のように給与から天引きされる自己負担分がない。つまり労災保険を使うことは、あなたが払っていないお金を使う後ろめたい行為ではなく、あなたのために事業主があらかじめ払っている保険を使う、というだけの話です。

もうひとつ、実務上いちばん誤解されている点を先に書きます。労災かどうかを決めるのは会社ではありません。労働基準監督署です。 請求書には事業主が記入する証明欄がありますが、厚生労働省のパンフレットには、会社が廃止されている場合や事業主証明を拒否する場合であっても労災請求はできる、と明記されています。会社が「うちは労災じゃない」と言ったことは、制度上の結論ではありません。

精神障害も労災の対象になる

厚生労働省は「心理的負荷による精神障害の認定基準」を定めていて、これに沿って労災かどうかが判断されます。認定要件は次の3つです。

  1. 認定基準の対象となる精神障害を発病していること
  2. 認定基準の対象となる精神障害の発病前おおむね6か月の間に、業務による強い心理的負荷が認められること
  3. 業務以外の心理的負荷や個体側要因により発病したとは認められないこと

1の「対象となる精神障害」は、ICD-10 第V章「精神及び行動の障害」に分類されるもので、認知症や頭部外傷などによる障害(F0)とアルコールや薬物による障害(F1)は除かれます。業務に関連して発病する可能性のある代表例として、パンフレットはうつ病(F3)や急性ストレス反応(F4)を挙げています。

2が制度の中心です。ここで押さえておきたいのは、心理的負荷の強さを本人がどう感じたかで測らない、ということです。パンフレットの表現では、発病した労働者が主観的にどう受け止めたかではなく、職種・職場における立場や職責・年齢・経験などが類似する「同種の労働者」が一般的にどう受け止めるかという観点から評価します。この設計には、傷つきやすさの個人差で結論が揺れないという長所と、当事者の実感とずれうるという短所の両方があります。

具体的には「業務による心理的負荷評価表」という別表があり、極度の出来事(「特別な出来事」)があれば総合評価は「強」。そうでなければ、起きた出来事を「具体的出来事」に当てはめて「強」「中」「弱」を評価します。関連しない出来事が複数あれば全体を総合的に評価し、「強」+「中」なら「強」、「中」が複数なら「強」または「中」になりうる、という組み合わせの考え方も示されています。

評価期間は発病前おおむね6か月ですが、ハラスメントやいじめのように出来事が繰り返されるものは例外で、6か月より前に始まって発病まで続いていた場合は、始まった時点から評価されます。

2023年9月に基準が変わった

現在の認定基準は2023年(令和5年)9月1日に改正されたものです。主な変更点は次のとおりです。

  • 心理的負荷評価表に「顧客や取引先、施設利用者等から著しい迷惑行為を受けた」(いわゆるカスタマーハラスメント)が具体的出来事として追加された
  • 同じく「感染症等の病気や事故の危険性が高い業務に従事した」が追加された
  • パワーハラスメントの6類型すべてについて具体例が明記され、性的指向・性自認に関する精神的攻撃なども含むことが示された
  • 発病後の悪化について、悪化前おおむね6か月以内に「特別な出来事」がなくても、業務による強い心理的負荷で悪化したときは、悪化した部分について業務起因性を認めることになった
  • 医学意見の収集方法が効率化され、専門医3名の合議で決定していた事案も、特に困難なものを除き1名の意見で決定できるようになった

カスハラの追加は、単なる項目の追加以上の意味があります。従来の労災は「社内の誰かからの加害」を想定しがちでしたが、社外からの理不尽が心理的負荷として正面から評価対象になった。実際、後述する令和7年度の統計では、カスハラを出来事とする支給決定が127件出ています。

数字で見ると、これは珍しい話ではない

厚生労働省が2026年(令和8年)7月15日に公表した令和7年度「過労死等の労災補償状況」によれば、業務災害に係る精神障害の状況は次のとおりです(2026年10月時点で最新)。

  • 請求件数 4,958件(前年度3,780件から1,178件増)
  • 決定件数 3,839件、うち支給決定件数 1,082件(前年度1,056件)
  • 認定率 28.2%(前年度30.2%)
  • うち自殺(未遂を含む)は請求215件、支給決定76件

支給決定件数は令和3年度629件、4年度710件、5年度883件、6年度1,056件、7年度1,082件と増え続けています。一方で請求件数の伸びのほうが急なため、認定率はむしろ下がっています。請求すれば通る制度ではない、というのは正直に書いておくべき点です。7割は不支給になっている。

出来事別の支給決定件数(令和7年度)は、上司等からのパワーハラスメントが222件で最多、次いでセクシュアルハラスメントとカスタマーハラスメントが各127件、仕事内容・仕事量の大きな変化が113件と続きます。業種別では医療・福祉が292件で最も多く、就労形態別では正規職員・従業員908件に対しパート・アルバイトも86件が支給決定されています。

もうひとつ、時間外労働の長さ(1か月平均)別に支給決定件数を見ると、月20時間未満が57件、20〜40時間未満が54件と、長時間労働がなくても認定されている事案がかなりあります。パンフレットも、示された時間外労働の時間数は目安であって、この基準に至らない場合でも心理的負荷を「強」と判断することがある、と明記しています。「そんなに残業していないから無理だろう」は、請求をあきらめる理由になりません。

実際にはどんな事案が認定されてきたか

第1号——基準がなかった時代の個別判断

厚生労働省のポータルサイト「こころの耳」は、精神障害の労災認定の第1号事案を紹介しています。鉄道関連施設の設計技術者だった30代の男性が、大規模な駅の詳細設計で技術面の事実上の責任者を任され、1978年11月ごろから体の不調や不眠を訴えるようになった事案です。翌1979年に神経症、その後うつ病や心因反応と診断されて通院・入院し、復職して昇進した直後、通勤途中に駅のホームから電車に飛び込んで重傷を負いました。

労働基準監督署が業務上と認定したのは1984年(昭和59年)2月、発病から5年あまりたってからでした。当時は精神障害の認定基準そのものがなく、判断が難しいとして当時の労働省(本省)にまで判断が委ねられた末の、個別の判断です。業務による精神的ストレスが発病の原因として十分に強いこと、本人の性格は通常の範囲を逸脱していないこと、業務外のストレスは主な原因になるほど強くないこと、主治医を含む複数の精神科医が業務との因果関係を認めたこと——が理由として挙げられています。そして自殺企図も、反応性うつ病(当時の診断名)の一症状として起きたものと扱われ、負傷も業務上とされました。

いま読むと、現在の3要件の原型がすでにここにあることがわかります。ただ、これが「判断指針」という形で整理されるのは1999年(平成11年)、「認定基準」になるのは2011年(平成23年)のことで、第1号から15年以上かかっています。

現在の基準での例

現行のパンフレットには、今の認定基準に沿った事例が2つ載っています(いずれも厚生労働省が示した事例で、要約は筆者によるものです)。

  • 新規事業の担当で適応障害:デジタル通信関連会社の設計技師が、プロジェクトリーダーとして社内で前例のない技術の商品開発を任され、会社の支援もないまま月90〜120時間の時間外労働が続いた。約4か月後に適応障害を発病。出来事そのものは「中」だったが、その後に恒常的な長時間労働があったことから総合評価が「強」とされ、認定された
  • 上司のパワハラでうつ病:昇格して異動した先で、上司から連日の叱責、「辞めてしまえ」「死ね」といった発言、書類を投げつけるなどの行為を受けた。3か月後にうつ病を発病。人格や人間性を否定する言動が執拗に行われたとして「強」と判断され、認定された

どちらの事例も、業務以外の心理的負荷や個体側要因に顕著なものはなかったと判断されています。1つ目の事例では、発病の直前に家族が軽いけがをする出来事がありましたが、それだけで業務外とされることはありませんでした。

労災と傷病手当金は、どちらか一方

ここは実務でよく混乱します。業務上の傷病なら労災保険、業務外の傷病なら健康保険の傷病手当金、という切り分けです。全国健康保険協会(協会けんぽ)も、業務上・通勤災害によるもの(労災保険の給付対象)は傷病手当金の支給対象外だと明記しています。両方をもらうことはできません。

給付の中身は労災のほうが手厚くなっています。療養(補償)給付では、労災病院や労災指定医療機関にかかれば窓口の自己負担なしで治療を受けられます(健康保険の3割負担がない)。休業(補償)給付は休んで賃金を受けない日の4日目から、1日につき給付基礎日額の60%が支給され、これに加えて20%が特別支給金として支給されます。ほかに、療養開始後1年6か月を経過しても治らず一定の重い状態であれば傷病(補償)年金、障害が残れば障害(補償)給付、亡くなった場合は遺族(補償)給付があります。

実際には、認定の結論が出るまでには時間がかかります。その間の生活費をどうするかという問題は残るので、順序や併用の可否を含めて、早い段階で労働基準監督署に相談しておくほうが安全です(お金と健康の関係については、シリーズの総論「金の悩みは健康問題である」もあわせてどうぞ。傷病手当金については「傷病手当金——働けないあいだの生活費は、どこから出るのか」で詳しく書いています)。

どこに行けばいいのか

労災の請求には、所定の請求書を労働基準監督署に提出します。厚生労働省のパンフレットは、まず最寄りの都道府県労働局または労働基準監督署に相談するよう案内しています。一般的な質問は「労災保険相談ダイヤル」(0570-006031、平日8:30〜17:15、通話料がかかります)でも受け付けています。前述のとおり、会社が協力しない場合でも請求はできます。

この記事は制度の一般的な説明であって、あなたのケースが認定されるかどうかの判断ではありません。それを判断できるのは労働基準監督署です。個別の相談は、労働基準監督署、あるいは社会保険労務士や弁護士といった専門家の領分になります。診断書を書く主治医は「発病したこと」の証明はできますが、「業務が原因かどうか」を決める立場にはありません。

まとめ

  • 精神障害も労災保険の対象になる。労災保険は原則として事業主の保険料でまかなわれており、パートやアルバイトも対象になりうる(2026年10月時点)
  • 認定要件は3つ。①対象となる精神障害の発病、②発病前おおむね6か月の業務による強い心理的負荷、③業務以外の要因や個体側要因による発病とは認められないこと
  • 2023年9月の基準改正で、カスタマーハラスメントや感染症等の危険業務が評価対象に加わった。長時間労働がなくても認定される事案は実際に多い
  • ただし令和7年度の認定率は28.2%で、請求すれば通る制度ではない。認定するのは会社でも主治医でもなく労働基準監督署なので、迷ったらまずそこに相談する

つらいときの相談先:厚生労働省の相談窓口ポータル「まもろうよ こころ」に、電話・SNSの窓口がまとまっています。

参照した資料

資料名 URL 確認日
厚生労働省「精神障害の労災認定」パンフレット(令和6年10月版) https://www.mhlw.go.jp/content/001309223.pdf 2026-10-21
こころの耳「精神障害労災認定の第1号事案(鉄道駅の設計技師が反応性うつ病により自殺未遂に至った事例)」 https://kokoro.mhlw.go.jp/case/615/ 2026-10-21
厚生労働省「精神障害の労災認定」パンフレット(平成23年12月 認定基準策定時のもの) https://www.mhlw.go.jp/bunya/roudoukijun/rousaihoken04/dl/120215-01.pdf 2026-10-21
厚生労働省「心理的負荷による精神障害の労災認定基準を改正しました」 https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_34888.html 2026-10-21
厚生労働省「精神障害の労災補償について」(通達・リーフレット一覧) https://www.mhlw.go.jp/bunya/roudoukijun/rousaihoken04/090316.html 2026-10-21
厚生労働省「令和7年度『過労死等の労災補償状況』を公表します」(令和8年7月15日公表) https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_74476.html 2026-10-21
同・別添資料2「精神障害に関する事案の労災補償状況」 https://www.mhlw.go.jp/content/11402000/001723467.pdf 2026-10-21
厚生労働省「労災補償」(制度の概要・適用範囲・費用負担) https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/roudoukijun/rousai/index.html 2026-10-21
福島労働局「労災保険給付の内容」(給付の種類と内容) https://jsite.mhlw.go.jp/fukushima-roudoukyoku/hourei_seido_tetsuzuki/rousai_hoken/hourei_seido/hosyo_rosai02.html 2026-10-21
全国健康保険協会「傷病手当金」 https://www.kyoukaikenpo.or.jp/benefit/injury_and_sickness_allowance/index.html 2026-10-21