金の悩みは健康問題である

お金の問題は自殺の主要な原因・動機のひとつであり、金の悩みは「恥」ではなく医療と制度が扱うべき健康問題である——だから診察室で金の話をしていい。

導入

お金の話は、診察室でいちばん出てこない話題のひとつです。症状のことは聞かれるけれど、「治療費は払えそうか」「借金で眠れていないのではないか」まで話が及ぶことは多くありません。患者さんの側も「病院でする話ではない」と思っている。医者の側も、正直、聞きにくい。

でも、統計を見ると、この遠慮は誰のためにもなっていません。今回は「命と金」の話です。

本文

数字で見る「命と金」

日本の自殺者数は、警察庁の統計で2024年に20,320人、2025年に19,188人(確定値)でした。1978年に統計を取り始めてから、年間2万人を下回ったのは2025年が初めてです。かつて年間3万人を超えていた時代からは、大きく減ったことになります。

では、何が原因・動機として記録されているのか。原因・動機は1人につき最大4つまで計上される方式で、最も多いのは一貫して「健康問題」(2024年は12,029件)ですが、「経済・生活問題」は5,092件と、それに次ぐ主要な原因・動機のひとつであり続けています。しかも直近の統計では、全体の自殺者数が減るなかで「経済・生活問題」はむしろ増加傾向にあり、なかでも「負債(多重債務)」の増加が指摘されています。

そして、日本には「金と命」が統計上はっきり交差した年があります。1998年です。前年まで2万人台前半だった自殺者数は、この年に32,863人へと一気に跳ね上がりました。金融機関の破綻が続き、企業のリストラが本格化した時期で、増加の中心は働き盛りの中高年男性でした。その後14年間、日本は「年間自殺者3万人」の時代を続けることになります。景気と自殺統計がこれほど連動した例は、国内ではほかにありません。

海外の研究はもっと直接的

「失業や借金と自殺の関連」は、国際的にも繰り返し報告されています。

  • 失業:63か国・2000〜2011年のデータを解析した研究では、世界の自殺のおよそ5件に1件が失業と関連しており、失業に起因する自殺は年間およそ4万5千人と推計されています(Nordt et al., Lancet Psychiatry 2015)
  • 借金:約3万4千人分のデータを統合したメタ解析では、借金のある人はない人に比べて精神疾患を有するオッズが約3.2倍、うつ病が約2.8倍、自殺既遂では約7.9倍と報告されています(Richardson et al., Clinical Psychology Review 2013)

ただし、この種の研究の多くは観察研究で、因果の向きは単純ではありません。精神疾患が先にあって経済的に困窮していく経路と、経済的困窮が先にあって心を病んでいく経路は、両方が存在し、しばしば同じ人の中で絡み合います。「借金があるから病む」とも「病むから借金する」とも言い切れない——だからこそ、どちらの入口から来た人にも、医療と制度の両方が必要だというのが実務的な結論になります。

金の問題には、実は「治療法」がある

ここが本題です。金の悩みは、健康問題としては珍しく、使える制度が具体的に存在する分野です。

  • 病気で働けない期間の収入には傷病手当金(健康保険)
  • 精神科の通院費を軽くする自立支援医療
  • 医療費が高額になったときの高額療養費制度
  • 病状が長引くときの障害年金
  • 借金そのものには法テラスや自治体の多重債務相談(債務整理は法律で解決できる問題です)
  • 生活の立て直しには生活困窮者自立支援制度、最後のセーフティネットとして生活保護

一つひとつの制度の説明は別の記事に譲りますが、重要なのは「金の悩みには出口が用意されている」という事実そのものです。うつ状態のときは視野が狭くなり、目の前の返済や請求書しか見えなくなります。木を見て森を見ず、です。制度は、狭くなった視野の外側にある森の方に生えています。

だから、診察室で金の話をしていい

医者の側の話をすると、私たちは金の話を扱う訓練をほとんど受けていません。診断と処方は学んでも、傷病手当金の書き方は現場で覚えるのが実情です。それでも、経済的な困りごとを診察で拾えれば、ソーシャルワーカーや相談窓口という「治療チーム」につなぐことができます。

患者さんの側に伝えたいのは一つだけです。お金の悩みは、診察室で話していい話題です。それは愚痴ではなく、症状の背景情報であり、時に症状そのものだからです。

まとめ

  • 「経済・生活問題」は日本の自殺の主要な原因・動機のひとつで、直近はむしろ増加傾向という報告がある
  • 失業は世界の自殺の約5件に1件と関連し、借金は精神疾患と強く関連するという研究がある(因果は双方向)
  • 金の悩みには傷病手当金・自立支援医療・法テラスなど、具体的な制度の出口がある
  • お金の話は、診察室でしていい。むしろ、してほしい

つらいときの相談先:厚生労働省の相談窓口ポータル「まもろうよ こころ」に、電話・SNSの窓口がまとまっています。


参照した文献

文献出典確認状況
警察庁・厚生労働省「令和6年中における自殺の状況」https://www.npa.go.jp/safetylife/seianki/jisatsu/R07/R6jisatsunojoukyou.pdf総数20,320人確認済み。多重債務+61件は二次資料のみ(複数ソース一致)で、本文では件数を出さず「増加が指摘」の表現に留めた
厚生労働省 令和7年版自殺対策白書 第1章https://www.mhlw.go.jp/content/001581168.pdf健康問題12,029件・経済・生活問題5,092件(2024年)。PDFから数値抽出し男女別内訳の検算一致。ラベル対応のみ公開前に目視確認を推奨
警察庁「令和7年中における自殺の状況」https://www.npa.go.jp/safetylife/seianki/jisatsu/R08/R7jisatsunojoukyou.pdf2025年確定値19,188人(令和8年3月27日公表)。統計開始以来初の2万人割れ
1998年の自殺急増(32,863人)警察庁自殺統計。※厚労省の人口動態統計では31,755人と数字が異なる(統計の作り方が違うため)。記事では警察庁系列で統一する確認済み(複数ソース)
Nordt C, et al. Modelling suicide and unemployment: a longitudinal analysis covering 63 countries, 2000–11Lancet Psychiatry 2015;2(3):239-245. DOI: 10.1016/S2215-0366(14)00118-7「5件に1件」「年間約45,000人」確認済み(抄録・複数の二次資料)
Richardson T, et al. The relationship between personal unsecured debt and mental and physical health: a systematic review and meta-analysisClinical Psychology Review 2013;33(8):1148-1162. DOI: 10.1016/j.cpr.2013.08.009OR(精神疾患3.24・うつ2.77・自殺既遂7.9)を PubMed 抄録で確認済み(2026-08-12。本文は有料のため未参照)

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